加藤 隆寛さん 四段審査小論文 2020.01.13

審査日:2020113

合気会会員No. 168011

合気道幸徳会  加藤 隆寛

 

  四段審査小論文

 

< 合気道における体重差についての考察 >

 

 高校生の頃に合気道に出会い、18年ほどの月日が経った。以来、浪人、大学、留学、社会人と生活のリズムが変わることがあっても、幸運にも常に合気道に親しみ続けることができた。本部道場はもとより、地元川崎市の幸徳会、ニューヨーク合気会、早稲田大学合気道会、多田塾月窓寺道場などで指導を受ける機会に恵まれたことに本当に感謝している。

 初段、二段は学生時代に取得した。学生時代はとにかく量をこなせれば上達できると妄信し、一週間に十回以上も道場に足を運ぶこともあったが、社会人になってからは量より質を求めなくてはならなくなった。社会に出てわずかの間は稽古を継続しているだけでも上達している気になっていたが、三段を取得したくらいから長い間上達を感じることが少なくなった。当初は稽古量にあると考えていたが、原因の一つは、相手との体重差を克服できていないことだと思い直した。体格が相当に劣る際、どのようにそれを克服して技を作るかを課題として近年は稽古に取り組んでいるのだが、ここでは合気道における体重差について簡単に考察する。

 

 -体重差についての無意識

 合気道の稽古の中では、特段に体重差に気を配って練習する技を選ぶことは稀である。体重差があるために技をかけやすい、かけにくいなどの問題は程度の差はあるものの常に存在することは稽古者は体感しているはずだが、技によって相手を選り分けることはしない。相手の身長や体重によって適した技は本来的には異なるはずである。例えば、自らより体重が大分重い者に対しては入り身投げや天地投げのような相手の重心を体ごと崩す技より、小手返しや天秤投げなどの関節に強く作用する技の方が掛けやすいだろう。

 武道や格闘技に限らずフィジカルコンタクトのあるスポーツにおいて、体重は大きな意味を持つ。筆者は高校時代にラグビー部に在籍したが、体重があるものがフォワードという前衛に立ち、体重が軽いものがバックスという後衛のポジションに就くのが鉄則であった。前衛に立つフォワードが体を張って相手を止めて、身軽なフォワードにパスをつないで走り抜けさせる構図である。コンタクトスポーツにおいて、体重はプレイヤーの役割を決定する重要な要素である。合気道では体重差を考慮することが稀ではあるが、現実的に掛けられる技を習得することを目的としたら、体重差を考慮したほうがいいのかもしれない。では、なぜ体重差に配慮をせずに稽古をしているのだろうか。

 

 -他武道との比較

 その他の武道や格闘技においては、剣道や弓道など武器術を除けば体重階級制であることが一般的である。剣道でも身長差や体重差が勝敗を左右する場面がありそうなものだが、ある既定の長さや重さの竹刀を用いることが決められていることもあり、階級を分けるほどではないと判断されているのだろう。組技を代表する柔道は男子なら60㎏級から100kg超級まで7つに分類されており、60㎏級の次は66㎏級と6㎏も差がある。60㎏級の次は66㎏級、その次は73㎏級、81㎏級、90㎏級、100㎏級、それ以上の100㎏超級となる。それぞれの階級差は小さい順から6㎏、7㎏、8㎏、9㎏、10㎏と、それぞれの階級から約10%増の体重が次の階級となっている。ボクシングはミニマム級(47.62㎏以下)からヘビー級(90.719㎏以上)までの17階級もあり、最も軽いミニマム級と次に軽いライトフライ級とでは、約1.36㎏しか差が無い。打撃技は組技よりも体重差が競技に与える影響が強いと判断されているために、階級が細かく分かれていると推察される。

 合気道は武器術もあるが、基礎となるものは体術である。当身はあるがそれ自体の稽古をすることは稀なので、組技の稽古が中心となる。柔道に倣うなら、合気道も610㎏差以内の者となるべく稽古することが推奨されてもおかしくはない。

 

 -合気道の性格

 合気道において体重差を考慮せずに稽古をしている理由は、主に以下の数点に要されるのではないだろうか。一つ目に、合気道には相手といたずらに強弱を競わない、と開祖が定めた大方針が存在する。植芝盛平翁直系の合気会では試合や競技を行わない。「お互いに切磋琢磨し合って稽古を積み重ね、心身の鍛錬を測るのを目的」としていることを考慮すると、技を実際に掛けられるかどうかは大事ではあるものの、それよりは技を掛けられるように鍛錬していくことの方に重きが置かれている気配が感じられる。階級制で体重別に分けられた試合が無いことから、体重を分けて稽古する必要が薄いのだ。

 二つ目には、開祖の理想とした技の方向性にもその要因があるのではないか。開祖は身長は156㎝で体重は75kgほどであったらしい。現代からすると低身長に感じられるが、1880年代生まれの日本人としては平均的な背丈である。体重が身長に比して大分重く、相当に筋骨隆々としていたのではないか。とはいえ、梁山泊の様相を呈していた当時の植芝道場に来る面々は相当な力自慢や実力者が多かっただろうと推測されるので、体格的に優位であることは少なかっただろう。このことを踏まえると、体格的に劣っている場合でも掛けられる技を磨くことが重要だと考えていた可能性もある。

 三つ目として、そもそも稽古の場においてはよほど人数が多い道場でなければ、同格の体躯を持つ者同士での組み合わせを作るのは難しい。この制限的状況自体が、体重差を気にせずに多様な技を稽古する慣習を作ったことも考えられる。学生合気道も大体73くらいの割合で男子の方が多いので、道場内の男女比率まで考慮すると、性別を気にした上に体重別に分けることは現実的ではない。こういった事柄も十分に影響する要因だろう。

 以上の合気道の性格を振り返ると、今後も体重差のある相手と稽古をする状況に変わりはない。

 

 -体重差への対応

 上述の仮定が正しいとして、それでは、各々はどのように研鑽を積んでいけばいいのだろうか。筆者は、腕の振り上げと振り下ろしにヒントがあるのではないか、とここ数年感じている。

 合気道の技の多くは腕の振り上げと振り下ろしに、下半身がついて来ることよって構成されている。あくまで基本に忠実であれば、前傾して屈みこんで投げるのではなく、下半身の動きは腰以下の移動や下半身の屈伸に限られる形によって技を掛ける。その時、腕の振り上げは体の中心線になるべく沿い、振り下ろしは丹田を意識するように腹の正面に落とすことが理想的であるとされる。腹の位置から頭上まで、体の中心を通しての腕の上下は、最も力が入りやすい上下運動の一つであるだろう。力が入りやすく落差を作りやすい上下運動だからこそ、様々な投げ技や関節技に作用していることを実感できる。

 そう思って開祖の動画記録を見てみると、腕の振り上げと振り下ろしがとても奇麗であることに目がつくし、晩年であるほどに腕の上下を使った技が多いように感じる。開祖の銅像も両手を振り上げたり、振り下ろしているようなものが多い。

 もう一点としては、相手の体重の逃し方を意識して稽古することではないか。例えば、円相の構えには相手の肘を開かせ、体重を乗せづらくすることができる。円相にして振り上げ、円相にして振り下ろすことは、取り掛かってくる相手の質量を極力逃す工夫と考えられる。上半身だけでなく、下半身で考えると足腰の使い方も体重を逃すように自然と学んでいる。例えば、逆半身片手取りで一教をする場合、斜め後ろに下がってから一教をかけることがあるが、この時は自分が後ろに下がっている分、相手が自分側に体重を乗せやすいという場面がある。この際に体重を逃すのは、体重が乗せづらいように相手の腕を伸び切らすような、柔軟な足腰の使い方にあると思う。相手の重心を崩すような微妙な距離感を、足腰の粘りで作るようなイメージである。

 こうして振り返ると、実に基本的なことが体重差を克服することでも重要であることが分かる。普段の稽古で行っている基本に忠実な技の繰り返しが、体重差の克服に繋がっている。相手の体重が乗っているかどうかを意識しながら稽古することが、技の向上に繋がるということなのだろう。

 

 -体重を意識した稽古

 相手の体重を逃がすような工夫や、重心を崩して体重が乗りきらないような間合いを把握していくことは、技の研鑽の一つであろう。相手の体重と自分の技がどこで交差するのか、なるべく交差しないようにするにはどうしたらいいのか。指導の方法としても、体格に劣るものがいかに技をかけるか、提示していくとより上達が早いはずである。開祖は相手を意識せずに技を出せと説明されたそうだが、相手の体重とほぼ交差しないような状況を作れるようになっていけば、究極的にはそうなるのかもしれない。そういった体重への意識を強く持ちながら、稽古を続けていきたいと考えている。

 

 


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