昨年の状況と今年のテーマ

新しい年を迎え、日常の生活リズムに戻られて、気持ちも新たに稽古に取り組まれていることと思います。例年より遅くなりましたが、幸徳会の昨年の状況について振り返り、また今年の幸徳会の重点テーマついて述べたいと思います。昨年の幸徳会入会者(修養塾を含む)は、一般部14名、少年部9名でした。その結果、移転などで退会された方を含めて見ますと全体として一般部71名、少年部40名、合計111名となりました。

一般部入会者の方の色分けして見ますと、①経験者4名、②初心者10名、初心者の方の多くは、主婦の方と独身女性の方でした。一時期は中高年の方の入会が多かったのですが、若い世代、特にこれまでの幸徳会では、比較的少なかった20代、30代の方々の入会が多かったので、とてもうれしい限りです。若い世代の方に入会頂くことは昨年の目標でもありました。この方々が長く続けて行けるようにまわりの方々の厳しいながらも温かいサポートをお願い致します。古い方も新しい方も、また年配の方も若い方もそれぞれの良さを汲み取って学び合えるような雰囲気になることを願いつつ、今年も皆さんと稽古して行きたいと思います。

もう一つの昨年の特徴として、昇段者が例年に比べて多かったことが挙げられます。8名の方が初段となり、6名の方が二段となりました。その大部分の方は、幸徳会で白帯から始められて稽古を積み重ねられて来た社会人の方々です。忙しい時間を調整され、稽古に励まれてやっとここまで来ることができたのでしょう。その過程に対して、同じ社会人として敬意を払いたいと思います。しかし、これからの稽古は‘技の量’では無く‘質’が問われてきます。稽古に対する取り組み姿勢を変えていかないとうまくなりません。細かなところにも課題を見つけて、1つ1つ自分なりの答えを出して行かなければなりません。場合によっては、今迄慣れ浸しんできた形を一旦壊して、新たに取り組みなおす必要も出てくるでしょう。とても勇気のいる地道な作業ですが、その過程の中で新たな発見が遭ったり、仲間と考えをぶつけ合ったりしながら、これを楽しんでほしいと思います。皆さんで頑張りましょう。

合気道という武道の良さの中に脈々と流れ続けている1つに‘一体となる’とか‘和合する’という思想があります。一般的に、試合をするスポーツや武道の中には、必ず‘自分’と‘相手’が存在し、‘戦う’という対立軸があることを前提とします。相手があって自分も高められる、頑張ってその上を目指すこと、これが試合の求める良さなのでしょう。合気道の場合は、これとは少し目線が違います。相手を自分と分けて考えない。一つになるということですね。相手との対立軸の中で打ち勝つことを考えるのではなく、相手と一体となることで結果的に相手を制圧してしまう。力ずくでないから、敵を作りません。我々はそういう合気道の持つ特性を意識して稽古してゆく必要があると思っています。しかし、現在の幸徳会にはそういうところがどうも希薄になってきているように感じており、そこで皆さんに一つ提案をしたいのです。

今年の重点テーマは、‘受け手’側の意識を変える、‘受け身’を積極的に捉えて稽古に取り組むということです。‘一体となる’とか‘和合する’ということを理解しようとするためには、技を掛ける側の‘取り手’側だけで考えようとするのではなく、実は技を掛けられる側の‘受け手’側に強く意識を持って稽古することでわかってくるのではないかと思っています。稽古を2人でする場合、お互いに完璧ではない2人ですることになります。どちらか一方が柔らかく‘一体となる’ように求めれば、そういう感覚が埋まれてきます。その役回りして向いているのは絶対的に‘受け手’側なんです。これは簡単なことではありません。まず、相手の動きを感覚的に捉えて、これに合わせるように自らが反応して動いて行く必要があります。単なる受けの姿勢、技が掛るのを待つ姿勢ではいけないということです。待つという姿勢、それ自体が‘一体になる’という姿勢を既に放棄してしまっている姿だということです。

私は学生時代、当時本部道場の水曜日の有川先生の指導時間2時間、1年間に渡って‘受け’をさせて戴く機会がありました。何が来るのかは行ってみないとわからない、入身投げは下からスパッと手が首筋に飛んで来ましたし、四方投げは、大きく内側に巻き込まれるように投げられていました。当時はどちらも飛び受け身でしたが、現在の後ろ受け身では、逆に強く頭を打っていたと思います。完全に技が掛ってしまってから反応して動くのでは既に遅い、もうそこで終わってしまっていますね。かといって、早く勝手に動いてしまうのもおかしな動きです。そこには理屈などなく、多く受け身を積極的にしていくことでこういった感性を養って、相手との結び方を学んで行くしかありません。それ以外にうまくなる方法は無いのです。

また、受け身の稽古や受け身に対する意識が低いために、受け身をしないといけないタイミングで自分からブレーキを掛けてしまう方がいます。技が決まってしまう前に、相手に反発することでこれを回避しようとするのですが、そのポイントで‘取り手’はさらに加重を掛けて倒そうとするので、怪我をしてしまう場合があります。これも‘受け手’側から見れば、受け身に対する恐怖、要は稽古不足が原因です。どんな体制からでも突っ込んで受け身ができてこそ、一体となることができ、怪我をすることから回避できるようになるのです。受け手として正しく打っていかなければならないのに、取り手が突っ込んでくるのがいやで、腰が引けてしまって、最初からしっかりと打っていけない方もおりますね。ここにも‘一体となる’という意識は既に無く、自らこれを断ち切ってしまっているのです。取り手側もまた無理をして入って技を掛けようとするので、どんどん悪循環を引き起こす稽古となってしまいます。

受け手側から積極的に入って打って行く、相手を捉えて動いて受け身を取れるということは、受け身に対して恐怖心が無いということです。そのためには、そう思えるだけの回数をこなして、どんな場合でも怪我をしないように受けられるという自信が持てるようになるまで繰り返し受け身を取るしか方法はありません。そうすると、おのずと身体の力みも無くなり、これが受け手だけの動作ではなく、取り手側にも生きてくるのだと私は思っています。受け身側が積極的に動くということは、運動量も多くなり、非常に疲れるのですが、それを嫌って逆に動かないということは、この感性を養うことができず、怪我する原因にもなります。私は、この相手の動きを捉えて‘一体となる’ということの感性を磨くということが、牽いては、入身に入るタイミングや一教に入るタイミングなどを養うことに通じているのだと思っているのです。ですから、今年は‘受け手’‘受け身’ということにも重点を置いて稽古して行きたいと思っています。稽古としては、‘取り手’‘受け手’ともに表裏一体で、どちらもおろそかにはできないということです。特に、有段者の方は、初心者の方に対して、相手の不足した部分も補って受けてあげることで、‘一体となる’という稽古を感じさせてあげてほしいと思っています。できないことを止めて口でいちいち指導するのではなく、最低限の動きができるようになったら、有段者が初心者の不足部分も補って、有段者の方も相手と一つになる稽古を、初心者の方もそれを体感することで、自分がどういう方向に向かって行けば良いのかを稽古を通じて教えて戴きたいのです。

‘一体となる’ということを作って行うのではなく、自然とできるようになるまで稽古を反復するということ。知性だけで問題をすべて解決しようとする意識が強すぎる傾向があるので、もっと感性を養う稽古の中で、色々なことに気付いて行くような稽古が今は皆さんに求められているのではないかと感じます。


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