私は大学時代に有川定輝師範に合気道を学びましたが、今日の私が合気道を続けているのは、先生の影響力によるところが非常に大きかったと今でも感謝しております。先生がお亡くなりになったという悲報を聞き、先生に直接学んでいた時のことについて少し振り返ってみたいと思うのです。
20年以上前になりますが、多感な学生時代というのは、物事の道理や理想ということについては非常に敏感です。かといってそれを自分で裏付けることができる力がありませんから、このジレンマがエネルギーとしてくすぶっているような状態であったと思うのです。ですから、まず自分がこうなりたい、こうあるべきだと思う方を先生として学べるということは、とても幸せなことでした。
学生に対しては威厳があり、思慮のない発言にはスパッと切り返される、隙が無いと言うのでしょうか、とても厳しい先生でした。「礼節」ということについては稽古以前に非常に厳しい方でした。武道とスポーツの違いを感じました。しかし、不思議と先輩も皆嫌々やっているわけではなかった。先生の武術に対する探究心の深さや姿勢というものを皆、肌で稽古を通じて感じていたからだと思うのです。
当時は代々、我々の大学の主将が本部道場の水曜日の稽古で有川先生の受けをするというのが慣わしで、私も1年間先生のお相手をさせて頂いたことがあります。とにかくまっすぐな時ですから、自分がやられたらうまくいかないことを先生だったらどうやるのだろうと恐さ半分、ためしてみたい気持ち、そして中途半端に打ちに行くのは師範に対して失礼だろうと、何か中途半端に打っていくというのは心を見透かされているように思えて、思い切って行こうという気持ちで掛かって行った記憶があります。しかし、そのたびに正面打ちは大木に向って行くような威圧感があり、腕をつかんでも丸太を持っているようであり、何も出来ず、時には何が起きたかもわからないという状態でした。当時はよく「体が大切」「中心線」「手の使い方を研究しろ」「手の動きはこれだけだからね」と身振りと一緒に一言だけいわれるだけでした。皆はそれをヒントに色々と研究したのです。そうやって自分のものにしていくというのが有川先生の稽古でした。私にとっては非常に貴重な経験でした。考えて稽古する、稽古を通じて物事を考えるというのは、先生に教えて頂いた根本的なことであり、今でも変わることはありません。
有川先生は、学生とはそういう付き合い方をすると言っておられましたが、我々の方はというと、やはり社会人になっても先生にお会いすると背筋がピシッとしてしまうのです。先生は常に物事の本質について考えておられるような方でしたから、軽はずみに言葉をかけられるような雰囲気ではありませんでした。先生からしても、その点はあまり話しかけられる方がいないわけですから、少し寂しかったかもしれませんね。今となれば、もっと色々と話をされたかったのかとも思います。
しかし卒業後は、結婚式には主賓としてご出席頂いたり、京王プラザホテルで行われた「合気道本部道場創建70周年」記念祝賀会の終了後には私を見て呼び止めていただき、2時間程お話をする機会を得て、私がこうして恥ずかしながら指導者として活動することを色々と励まして頂いたり、今では懐かしく思い出します。
学生時代に先生は何のために合気道を続けられるのですかと聞いたことがあります。有川先生は一言、「道楽だね」と言われました。先生は端的に答えられるのですが、端的すぎてよく意味がわからない時があるのです。しかし、稽古の時と同じで何かそこに意味が隠されていると思うわけです。「道楽」と聞くと「道楽息子」という悪い言葉の印象しかなく、言われた意味がわかりませんでしたが、辞書で調べると、もともとは仏教語で「修行によって得たさとりのたのしみ」と言う意味があるとのこと。そういう意味のことを一言で言われたのかと自分の学の無さを恥じた記憶が今でも残ります。
先生はお亡くなりになってしまい、何のご恩返しも私はすることはできませんでしたが、合気道指導者としてまた修行者として今を深めることをご恩返しのつもりで、先生の教えを心に刻みながらこれからも稽古に励んで参りたい思っています。有川先生、色々ご指導ありがとうございました。
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島田裕正 (木曜日, 13 10月 2016 21:42)
有川先生の思い出を読み、大変懐かしく走馬灯のように偲ばせて頂きました。。