最近、初心者の方がこのホームページをご覧になり、見学に来られるケースが増えています。合気道がどういう武道であるのかは、合気会ホームページに譲ることとして、私は合気道を学ぶ為の心がけについて考えているところを述べたいと思います。
合気道の稽古というのは、まず指導者が技の型の手本を見せて、通常2人が組んでこの技を掛け合いこれを学びます。取り(技を掛ける側)と受け(技を掛けられる側)を交互に行う約束稽古をするわけです。
最初は各技の型の種類を覚え、基本的な動きが体でできるようになってから、今度は1つ1つの技、1つ1つの動きに対してその技の心をくみ取って、自分のものにして行く稽古をするのです。
基本的な動きができるようになるのに2年くらいはかかるでしょうか。基本的な動きができるようになってからは、長い時間を掛けて自分のものにして行く修行の旅が始まります。
型は動き方の道標にはなりますが、なぜそう動くのかを教えてくれるものではありません。動き方も日常の動き方や力の使い方と違うことをしなければならないものもあります。それを自分で研究し、課題を持って稽古することが次の過程への足がかりとなります。常に「何故か」と自分に問い掛けながら稽古することが大切です。
合気道の技には必ず理合というものがあり、不思議と見えることも紐をほどいていけば必ず理屈があります。勿論、これがわかるようになるための基となる力の使い方や力の出し方、体の動き方ができている段階でないといくら頭で考えたところで分らないこともあります。心と体と技というのは常に1つなのです。
私は合気道の面白さは、自らが研究し、発見し、その奥深さを知りまた次の段階へと進むことを実感できることだ思っています。そして先人の人間としての知恵と心の深さに感動したり尊敬の念を持つことさえあります。
合気道の指導者はあまり手取り足取り指導をしません。これをするのは基本的な動きを教えることが中心で、あとはいくら教えたところで身につくものではないからです。あくまでも自分で力をつけて行くしかありません。ですから、もうこれ以上、研究することはないのだと思ってしまった時点でその方は進歩をやめてしまうことになります。
私はまず指導者の動きを見て、言葉を聴き、その意味を自分なりに十分に考えてみるということを行ってきました。当時分からなかったことが、後になって分かるということが何度となくありました。師範の言葉の中には常に次の扉を開く鍵が隠されていると思っていたからです。
私は学生時代から合気道を志しましたが、当時師範に教わったのは、物事には理屈があるということ。そしてこれを学ぶ姿勢と。これが大切だということを教えて頂いたと思うのです。
合気道を通じて1つのことを掘り下げるということが、自分の世界を狭くするのかというと決してそういうわけではないと思うのです。逆に1つ求めるところを追求する過程で見えてきたものをフィルターにして他のものも理解できるということがあるでしょう。こだわりがあったればこそ、他の物事についても深くを知ることができるのだと思うのです。
合気道は長い日本の歴史を通じてできた人間の英知の集大成です。長い時間を掛けて我々と一緒にこの合気道を追及しませんか。それだけの価値があるものだと私は思っています。
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